面白い!?浜松の地名の由来|変わっている町名「小豆餅と銭取」
浜松の変わっている地名「小豆餅」
ある日通りかかって目が点になった変わった地名があります。
「あずきもち(小豆餅)」です。
写真のように、
ドコモショップ あずきもち店
とか、書いてあります。
「なにあれ~~~!!あずきもちって、なに、なに~~~」
と家人に聞いたら、
「なにあれって、あずきもちだよ。」
「それってなに、小豆のお餅って書くの?!それって地名なの?!」
「そーだよ。(平然)」
「ええ~~?変わった地名だね~~、あずきもちなんて・・・!」
「どこが変わってるだよ。」
「・・・・。」
浜松の人はこの地名が当たり前と思っているらしいですが、異邦人はこんな地名、今まで見たことも聞いたこともありません!
ここは、家康が小豆餅を食べたところなんですって。
言われてみると、ああ、そうなんだ~・・・って感じですけど、でもでも、家康が小豆餅を食べた所だからって、小豆餅って、地名にする??
それって、それって、あまりにも
「そ・・・そのまんまやんか・・・・。」
と思ってしまった私でした・・・。
浜松の変わっている地名「銭取」
ロンドン野郎さんもおっしゃってましたが、小豆餅の逸話には続きがあります。
小豆餅を小豆餅で食べた時、実は家康は三方ヶ原の戦いの敗走中だったそうなんです。
武田信玄にこてんぱんにやられて、ほうほうの態で逃げている途中だったのです。
その途中でおなかが空いて、道端の茶店で小豆餅を食べたそうです。
ところが家康は、お金を払わないでさっさと行ってしまったので、お店のおばあさんがあわてて追いかけて、しっかり勘定を払ってもらったそうです。
で、そのばあさんが勘定を払ってもらったところが、今も地名に残っているのです。
銭取
ですって。
銭を取ったから、銭取。
やっぱり、やっぱり、まんまやんか~~~・・・・
浜松って、浜松って・・・・
話はちょっと遠回りになりますが、浜松の郊外の都田というところに、テクノポリスという、全国でも有数の工場団地があるんです。
巨大な工場群をまとめて、そこに働く人が住めるように、広大な人工の街を作っちゃったんですが、これについては、今後述べることとしまして、そこに向かう道路も、もちろん戦後に造られました。
それがですね、まっすぐ。
ただもう、まっすぐな道なんです・・・。
浜松は、山がないので、見渡す限り平野・・・なんですね。
その景色自体、西国生まれの私にはものすごい違和感なんですが、どこどこまでもまっすぐな道も、なんだか非常に変に感じられます。
まあ、曲げる必要なんてどこにもないから、とりあえずまっすぐに道造っちゃったんでしょうね~~・・・・。
この小豆餅と銭取の話は、その道路の造り方と、なんか回線似ているような・・・。
ちなみに写真は、その銭取にある小豆餅を売っている和菓子やさんです。
でも、その銭を取ったばあさん、家康って馬に乗っていたと思うので、それに追いついて銭を取ったとは、相当の根性ですよね・・・
これも浜松人の気質に通じるものがあるのかなあ・・・。
小豆餅と銭取
小豆餅という地名には、私もほんとにびっくりしましたよ~
昔、三方原の戦いに敗れて落ち延びる途中の徳川家康が、道ばたの茶店で小豆餅を食べたのですって。
それで、お金を払わずに出発したら、その茶店のばあさまが追いかけていって、お金を払わせたところが「銭取」という地名に。
お金を持っているのに払わない家康って・・・。・・・。
しかも、ばあさま、異常に足が速いです
そして、茶店のあったところが「小豆餅」になったそうです。
確かに、小豆餅の近くに銭取という地名もあって、それにあやかったお菓子屋さんもあります。
この逸話が作り話だっていう向きもあるみたいですが、私は、ある種遠州人の気質を表しているような気がして、面白いな~と思うんです
領主だろうと気にせず金は取り立てる
遠州人って、長いものに巻かれるのがキライなんだと家人が言っていました。
上の人におもねるのを良しとしないんでしょうね~。
家康のことも、どうもそんなに好きじゃないようなんですよね・・・。
このへんも静岡とちょっと違うみたいです。
いずれここの小豆餅は食べてみたいと思っています