【浜松のお盆】精霊棚の飾り付けと初盆参り|遠州大念仏の由来!
お盆のお買い物
今年もお盆がやってまいりました!
今年は、おしょろさんの食事を盛る皿となる芋の葉っぱが早く手に入ったので助かります。
今日はもう遅いので、この材料を使って、明日朝飾り付けをしようと思います。
ほんにお盆は・・・
浜松ではお盆は大変忙しいのです。
13日には早い内に精霊棚の飾り付けをし、お寺の和尚さんがお経を上げに来てくださるのをお迎えします。
夕方ころにはご近所の方と打ち合わせをして、その年お葬式のあった家はずべて、みんなで初盆参りに行きます。
当然ながら、お付き合いの広い方は、お葬式に出ることも多いので、抱える初盆も膨大になります。
今年から近所のお葬式と初盆は母に代わって私が行くことになりましたので、
お隣さんと待ち合わせの相談をして、喪服を着て数珠と盆供を持って出かけます。
初盆の家は、お葬式同然の飾り付けをしていますので、大変豪華です。
黒服の人達が次から次へと集団で押し寄せ、そこでも色々情報交換があります。
「あちらはもう回った?」
「いえいえ~。これから。」
「ところで、**さんのおうちは、お盆は旧盆ですよね?今日じゃないですよね?」
・・・浜松市内は新盆ですから、大体7月にお盆をしますが、特定の地区では8月のところもあるのです。
そうしたところの初盆情報をなるべく沢山仕入れておかなければなりません。
どこの誰がどこの親戚とかいう情報も、当然持っていなければなりません。
神道やキリスト教の家は初盆をしなかったりもします。
お葬式の時点で、それらを把握し、記録しておかなければ後で困ったことになります。
行ってみて初盆がなかったりすると、かなりがっくりきます。
・・・・。まさに情報戦です。
私は新入りなので、ただただお隣さんにくっついていたのですが、
素早く交わされる会話に、「なるほど~~~」と感心しきり。
このあと、ご近所さんとお別れし、一人でお参りに行くところがあります。
お葬式には家人が出たのですが、家人は家人で初盆の家を沢山抱えて、3時頃から飛び回っています。
ですからこちらは私の担当になりました。
その道すがら、車の人に呼び止められて、
「××さんのお宅はどちらですか?」
初盆に行くのだな、とすぐピンときます。これは、私が喪服を着ていたので、呼び止められたのだな、と思います。
「あ、そのお宅なら、今から向かうところです。すぐそこですよ。」
「あ、そうですか。税理士さんのお宅ですよね。」
「え!税理士さんは違います。名字は同じですが、××○○さんのお宅のことですね?でしたらこうこう・・・・。」
説明できる自分にも驚きです~。
お盆の前は情報が飛び交うので、なぜか詳しくなってしまうんですよね~。
その方と別れて、初めてのお宅にお参りに。
当然、あちらも私をご存じない。
沢山の親戚の方が見守る中、お参りをし、会葬御礼をいただいて帰りました。
こうしたことが、この日は数限りなく浜松では行われているのです。
当然、道は激しく混んでいます。
結局家人の帰宅は9時過ぎに。
毎年の恒例とはいえ、ほんにお盆は忙しい・・・・。
嵐の念仏
お盆の14日には、遠い親戚の初盆の遠州大念仏に招待されたので、家人と二人で夕方から出かけました。
遠州大念仏は、徳川家康が若くてまだ浜松城にいたころに端を発しています。
家康は京に上ろうとする武田信玄の軍勢とぶつかり、三方原で一戦交えますが、大敗を喫します。その折の敵味方の御魂をなぐさめるため始まったものです。
浜松の北に位置する浜北に、大念仏をする沢山のチームがあり、依頼されれば初盆の家に行って念仏踊りをします。
大体30人ほどの規模です。
太鼓を叩きながらの激しい踊りは、非常に印象的なものです。
さて、折から巨大な台風が西日本あたりを襲っているころですので、浜松も無事ではいられません!
横殴りの大雨の中、傘を差してとぼとぼと出かけました。
歩いていける距離であるのが幸いといえば幸い・・・。でもはっきり言って、傘はあまり役に立っていません。
「こんな台風でも、大念仏って、やるの?マジで??」
「やるさ。念仏は嵐の中でも絶対中止はしないんだ。」
「・・・・。・・・・。(マジっすか~とつぶやきながら雨風に耐える)そういえば、こんなに水浸しじゃ、家に入れないよね!キャー私、替えのストッキング持ってないよ!」
「オレだって靴下持ってないよ。仕様がない。なんとかなるだろう。」
二人とも黙々と歩きます。たいした距離ではないとはいえ、この雨の中、どちらも今更引き返したくなんかありません。
親戚の家に着くと、ちゃんとタオルも用意してくれています。私たち以外にも招待された人は沢山いるので、当たり前といえば当たり前ですが、準備もなかなか大変なことです。
しばらくすると二階へ招かれ、軽食を供されました。
「浜北の大念仏に慣れた方に聞いたんですよ。大念仏が来る前にみんなお食事を済ましておくものだって。」
と奥様。
ありがたく頂戴しながらも、外は更に吹きつのる雨風。
と、1階から「来たぞ~!」と声がかかりました。
みなでぞろぞろ下に降りると、遠くから鳴り物が・・・。
大念仏の皆さん、着物の上にビニール合羽を着て、ビニールをかけた菅笠をかぶって、それぞれ太鼓、笛、鉦など鳴らしながら近づいてきます。
雨も負けじとごうごう降っています。
そして、その雨の中、大念仏が始まりました。
太鼓や笛とともに、念仏の衆が庭をぐるぐると回り、一人一人持っている太鼓を叩きながら舞を舞います。
家人と私は写真を撮ろうと数人の人と一緒に外に出て、そのまま中に入れなくなってしまいました。
都会の家ですから、それほど間口も広くありません。
そこを何人もの太鼓の衆が踊っていては、とても今更家の中には戻れません。
仕方なく風雨と一緒に念仏を見つめます。
ご近所の方もぽつぽつ出てきて、見物しています。
雨と風の音と一緒に、太鼓と笛の音が響き渡ります。温度がぐんぐん下がります。
しばらく踊ると、第一弾が終了し、一休みがあります。ここで招待した家は軽食を念仏の衆に供します。
ちらほら帰ってしまう近所の方もいましたが、念仏踊りはここからがクライマックス。
とうとう付近の道を通行止めにして、太鼓を持った男衆が道路に並んで、最後の激しい踊りを始めます。
雨が細かくなったり、激しくなったりする中で、黙々と踊っている衆を見ると、鎮魂の踊りとはこうしたものかな~という感じがしてきます。
慰霊の踊りですから、嵐の中でも中止しないというのは、当然のことかもしれません。
去年の浜北の大念仏は、中学生くらいの女の子も混じっていましたが、今回は青年ばかり。
踊りの振りも大きく、太鼓の音もよく響き、やはり迫力があります。
雨風は、故人の喜びの表現かも知れないな~とも思わされた大念仏でした。