【浜松の初盆】浜北の遠州大念仏!供養のための踊りと由来や風習
浜松の北に位置する浜北に住む友人のOさん宅の初盆に、家人と二人で伺いました。
浜松の初盆も、よそから来た身にはスゴいですが、浜北はそれにも増して凄かったです
浜松祭りのお盆版というべきか・・・。・・・。
遠州には、遠州大念仏という組織があって、沢山の組が分布しているのですが、特に浜北地区でさかんなようなのです。
40~50人からなる集団で、鉦を叩く人、歌を歌う人、太鼓を叩きながら踊る人、などで構成されています。
この人たちが初盆のお宅に呼ばれて、供養のために念仏踊りを踊るのですが、その踊りたるや、リズムはゆっくりですが、大変な運動量で、初めて見たときは目が点になりました。
これやったら、絶対痩せるな~と思いましたが、この暑さでこのレベルの運動をしたら、私なんかじゃ目を回して倒れてしまうでしょうね・・・。
浜北では、こうしたチームが、各地区で組織されていて、初盆のお宅に呼ばれていきます。
今回伺った家で見た組は、中学生くらいの女の子もいて、年齢も様々です。
大体、音楽系の人と踊る系の人に大別されているようで、鉦、笛、歌などを担当するのが大人たちで、この人たちが集団の後ろにいて全体を指揮しているようです。
招いた家の玄関前にごく近くに並ぶのが、若い踊りと太鼓の集団で、7~8人はいたでしょうか。
鉦や笛に合わせて太鼓を叩きながら踊ります。
友人宅では、この集団を二日間で5組呼んだということですから、大変なことです!
この集団を迎えるために、場所もしつらえなくてはならず、まずお座敷に初盆の祭壇を整え、そこから続きの庭に仮の屋根を作って、その下に回廊みたいに板を掛け渡してありました。
周囲にはお供え物の酒やら花やらがびっしりと壁を構成し、なんだか違うお宅のようになっていました。
念仏踊りは、最後にはその仮屋の中を、笠をかぶって、片足で跳びながら太鼓を叩き、それを何周も繰り返すというハードな踊りとなります。
笠をかぶると誰が誰かもわからなくなり、太鼓の集団が祭壇の前を経巡る光景は、何か日常とかけ離れた、祭りと供養の不思議な空間になっていました。
このしつらえだけでも大変な散財だと思いますが、この人たちを接待しなくてはならず、また、親戚だけでなくご近所の方も沢山見物にいらしてました。
私たちのような遠方からの友人も沢山来たらしく、
家の人に聞くと、
「こういう支度は全部隣保でやってくれるんですよ。」
ということでしたが、それでも、人々の接待だけでも一族あげてへとへとになりそうな、凄い世界です~~~~
浜北は、沢山の死者を出したという三方原の戦いの古戦場にも近く、その死者の魂を供養するために念仏踊りが始まったと聞きました。
浜松あたりは、新しもの好きな人たちの土地ではありますが、古いものもしっかり残っていて共存しているあたり、不思議な土地柄だな~と思います。
それから、「供養」っていうことに、なんだかもの凄く力が入っているような気がします。
最後には皆で家の門口で松を焚いて線香を手向け、その松の中に竹を混ぜます。
(なんで竹なんて入れるのかな~、はぜて危ないのに・・・)
と思いましたが、まさに、はぜさせるために青竹を入れるそうです。
松が燃えさかって焚火の温度が最高になったとき、青竹がはぜて、故人が天に帰っていったことを知るのです。
焚火のむこうに月も上がって、不思議な夏を体験させていただきました。
Oさん、奥様、ありがとうございました