【浜松の風習】お盆に行う遠州大念仏の踊りやおしょろさんの準備!
忘れそうなお布施
浜松のお盆は新盆なので、普通の8月のお盆より1ヶ月早くやってきます。
もう、どこの家庭もお盆の準備がぼちぼち始まっています。
毎年、この時期になると、お寺のお坊様が各家庭のお仏壇を廻ってくださいますが、今年は今日、来られました。
いつもの年だと、大体13日とか14日ころに来られるので、丁度お盆にどんぴしゃなのですが、今年はちょっと早かったですね~。
なので、お仏壇の飾り付けなどもまだしていません。
いつもの年に廻るのを手伝ってくださる豊橋のお坊様が、今年は手伝えないということで、手分けして6月くらいから廻っておられるそうです。
暑いし雨は降るしで、なかなか大変そうです。
そして、来ていただくお坊様に、お茶とかおしぼりとかをお出しするのですが、いつも忘れてしまうのが、お布施…。
途中ではっと気付いて、慌てて包むのですよね…。
今までは何とか渡し忘れずに済んでいるので、ぎりぎりセーフなのですが、毎年やってて、なんで忘れるんだろう…。
忘れたい願望があるんでしょうか…。
きちんと最初から準備しておくことができないと、いつか忘れそうで、マジでこわいです。
今後の課題ですね。とほほです。
そろそろ、本格的にお盆の準備に入らなくては。まだかわらけも、しきわらも、たいまつも購入していないので。
売り切れちゃうと困ります…。
ー追記ー
おしょろさん
今日はお盆です。浜松では、他の土地より1ヶ月早いお盆です。
13日の朝か、12日の夜には、精霊棚を用意しなくてはなりません。
そして、ご先祖様の乗り物になる牛を茄子で作ります。
今年は、和尚様がちょっと早めに来られたので、今日はお出でになりません。あまり慌てずにすみます。
普段だと、前日の夜作るのですが、今年は朝、ちょこちょこと牛を作りました。
目は小豆、耳は南天の葉っぱ、しっぽはねこじゃらし。
足は、お盆用品で売っている「麻がら」を、切って使います。
この「麻がら」、とても長い棒状態のものが数本入って売っているのですが、とても軽くて中が空洞です。
はさみでちょきちょき切って、牛の足に丁度いい長さにします。
で、牛の胴体になる茄子に、箸で穴を開けて、そこに足とか、目とか、耳とか、しっぽとか、挿していきます。
去年は足が長すぎて、牛としてどうなの?という感じだったので、今年はちょっと短めに。
なかなか可愛くできたような気がします。
この牛の下に小さなゴザを敷いて、ご先祖様には蓮に盛った茄子をさしあげて、牛には、前にあるかわらけに、毎食ごとに私たちと同じ食べ物をどんどん盛っていきます。
勿論、ご先祖様にもお食事を出しますが、その都度下げます。
でも、この牛のは取り替えてあげません。
15日になるころには、このかわらけからはみ出そうになるまで色々盛るのですが、そのまんま。
最後の頃には、小バエがたかっていたりしますが、それも無視!…でいいそうです。
ほんとに不思議です。
なんで、ご先祖様に蓮に盛った茄子なのか、なんで牛のご飯は下げないのか、色々聞いたのですが、どなたも知らないそうです…。
でも、小バエはちょっと気になります…。
多分、同じ浜松でも別のやり方をしているおうちもあることでしょうね。細かく調べると面白いのではないかと思います。
15日の夜にはお寺にこの牛を持っていって、燃やしていただきます。
その前に、体にできものがあったり、頭痛がしたり、どこか悪いところがあったら、この牛で撫でて、病気も一緒に持っていってもらいます。
結構、吹き出物など、治るんだそうです!
そして、今日はお盆の初日ですので、盆義理があります。
去年亡くなった方の出た家の初盆を、廻らなくてはなりません。
わが家は、去年それほどお葬式に出ませんでしたので、今年の初盆は普通の年より少なめです。ちょっと楽でしょうか…。
でも、夕方近くなったら、初盆に向かう人々が、黒い喪服を着て、沢山通りを歩くことでしょう。
2010-07-13
ー追記ー
寺施餓鬼と大念仏
今日は浜松のお盆、最終日です。
しきたりにより、今日のお昼ご飯はそうめんです。
しかし、昨日おはぎを忘れていたので、おはぎも一緒にいただきました。
お寺は、夕方からの寺施餓鬼の準備に忙しいようで、家人も毎年朝からかり出されます。
夕方になると、家々の軒先とお墓で送り火が焚かれ、その後、おしょろさんとお供え物を新聞紙などに包んで、お寺に持っていき、焼いてもらいます。
お寺では、大体毎年遠州大念仏を招いて、鎮魂してもらいます。
それを眺めながら、お墓でも送り火を焚いて、毎年お盆は終わっていきます。
遠州大念仏は、遠州地方の風習で、30人くらいの集団が、太鼓を叩きながら舞を舞って、鎮魂しますが、その舞が独特で、見応えがあります。
遠州にはこの大念仏の団体が沢山あって、個人の初盆などでも呼ぶことが出来ます。
昔、徳川家康と武田信玄が戦って、家康が辛くも逃れたとき、浜松の犀が崖というところで、信玄側に多くの死者が出ました。
その崖に、色々妖異が起こったので、その鎮魂のため家康が命じて、この大念仏は始まったといいます。
浜松の初盆にしろ、大念仏にしろ、鎮魂は非常に大きなキーワードだな…という感じがいたします。
この写真は、以前撮ったもので、女の子たちのグループですが、多くは成人男性のグループです。
浜松では大念仏はおなじみで、なんの変哲もないものらしいのですが、見たことのない方は、その迫力に驚かれると思います。
機会があったら、是非ご覧下さい。非常に興味深い踊りです。
2010-07-15
ー追記ー
浜松の龍脈
「鎮魂」で思い出しましたが、「浜松には龍脈がない」と言った霊能力者がいました。
私が結婚する前に、個人的に見て貰った方なんですが、浜松の地図を見せたとき、
「あれ?この土地には龍脈がないね?おかしいな、広島とか、原爆を落とされたようなことがあった土地なんかは、龍脈がないところがあるけど、普通のとこにはあるんだけどね…。」
と言われました。
私はその時、浜松のことは殆ど知らなかったので、へえ~と思い、天竜川があるのに、龍脈がないなんて、不思議だな…と思ったのです。
しかし、浜松に住むようになって、この土地のことを色々と知りました。
浜松は戦災で殆ど焼け野原になった土地ですが、これは爆撃でやられたのではなく、海からの艦砲射撃でやられたそうなのです。
昔から工業の発達していた浜松は、軍需工場もあり、マークされていたわけですね。
焼夷弾だと焼けてしまうわけですが、艦砲射撃だと、どかんどかんと爆発して、色々なものが飛びますので、例えばお墓などに、当時の跡が残っていたりするのです。
その、墓石の傷跡も見せてもらったことがあります。
そういうこともあって、鎮魂の土地柄がなお強くなっているのかもしれません…。
艦砲射撃の話を聞いたとき、かつて聞いた龍脈のことを思い出しました。
原爆のように跡形もなく…というわけではなくても、艦砲射撃で甚大な被害があれば、そのようになることもあるのかも…と思い至ったわけなのです。
ただ、龍脈のある、なしは、その霊能者の方の能力とか、観方にもよるでしょうし、私自身にはわからないことなので、なんとも言えない部分もあるのですが、不思議な話として心に残っています。
考えてみると、広島の町など、一度焼けた上に作り直した道路は、碁盤の目のように整備されていて、交通もスムーズです。
その道路の感じは、浜松に似ていなくもありません…。
2010-07-16