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【嗚呼版太平記】楠公が現代に蘇る!観心寺にて廣田勇介氏の写真展を鑑賞

【嗚呼版太平記】楠公が現代に蘇る!河内長野の観心寺にて廣田勇介氏の写真展を鑑賞


-the urban taiheiki kusunoki masashige photo exhibition-

浜松から車を飛ばして5時間あまり、大阪の河内長野市観心寺(かんしんじ)に、楠公(なんこう)さんの写真展を見に行ってきました。

写真のもの凄い迫力に絶句。

月明かりに浮かび上がる楠公さん!あの皇居前広場の銅像って、こんなだったっけ?と記憶を疑うほどです。
本当に本当に、素晴らしいです。

この写真展のモチーフは、皇居前広場に佇む楠木正成(くすのき まさしげ)公の銅像です。関西あたりでは、親しみを込めて「楠公さん」と呼ぶそうです。

観心寺の庫裡に飾られているすべての写真が、この銅像であることがこの写真展のキモです。

歴史ある建物の中に、写真が効果的に置かれ、太平記を知る人なら、楠木正成公の生涯が目の前に彷彿としてくるように配置されているのです。

■楠木正成とは

楠木正成は、南北朝時代(700年ほど前)の武将で、飛び抜けた知略と武勇の人であり、また道義を貫いた人としても知られます。
江戸時代に入ってから水戸光圀(みと みつくに)公(水戸黄門様ですね)が、「大日本史」を編纂中にその生き様に感動し、「嗚呼 忠臣楠氏の墓(ああ ちゅうしんなんしのはか)」という石碑を、当時衰微していた湊川神社 (みなとがわじんじゃ 神戸市  ご祭神は楠木正成公)に建立したエピソードはあまりにも有名です。

楠木正成公は、まさに武士の中の武士なのです。

江戸時代にも南北朝の戦いを描いた「太平記」は民衆の間でもとても人気がありました。

楠公さんの生き方に触れると、「人としてかくありたい」という願いが、私のような者にもふつふつと湧いてくるのが不思議です。

人間的に見ても、これほど魅力のある生き方をした人は、歴史上でもなかなかお目にかかれません。

「太平記」のエピソードは、涙なくしては語れません!
未読の方は是非!

でも、本当のことを申し上げると、悲しすぎて私は途中から読めなくなってしまうのですが…。

水戸光圀公が編纂された「大日本史」は、後世に影響を与え続けました。水戸学に学んだ幕末の志士たちも、楠公の無私の生き方に憧れ、幕末の回天を成し遂げたことはよく知られています。

■皇居前広場の楠木正成像

皇居外苑に騎馬武者の像があることは、ご存知の方もあるでしょう。

この騎馬武者が楠木正成です。

この銅像は、住友家が東京美術学校に依頼して制作され、明治33年に宮内庁へ献納されました。

日本で初めての西洋式の銅像で、高村光雲(たかむら こううん 高村光太郎の父上です)を中心とした東京美術学校の職員たちによって当時の最高の技術によって制作されたものです。

騎馬武者像は各地で見かけますが、この躍動感や精緻な作り込みは、滅多に見ることができない立派な銅像です。

今回の写真展で、廣田さんの写真によってこの銅像がとてつもなく凄いものであることを改めて知ることができました。

■廣田勇介氏

廣田勇介氏は山岳ガイドで山岳写真家ですが、南朝の魅力に取り憑かれ、登山家として見た南北朝を「山と渓谷」に「山岳太平記」と題して連載されていました。その記事も素晴らしかったけれど、今回の写真展はまた別の魅力がありました。

聞くところによると、廣田氏は、三年の間皇居前広場に通い詰め、夜といわず昼といわず、雨の日も風の日も雪の日も銅像を撮影し続け、警察には不審者として職務質問を受けながら、とうとうこの写真展を開催してしまったのです。

話だけ聞くと、

「皇居前広場の銅像の写真だけでしょ?」

と思われるかもしれませんが、それが全然違います!

全く別の写真に見えるのです。ちゃんと物語になっているのです。
それが本当に不思議です。

廣田勇介氏ホームページ

■観心寺と千早赤阪村

この写真展を、楠公さんの菩提寺である観心寺で開かれていることも、とても意味があることだと思います。

観心寺は、自然の中の本当に美しいお寺です。

楠木正成は、まさにこの地で育ち、兵を挙げ、千早赤阪村の千早城で籠城し、数千の兵で数十万の鎌倉幕府の兵と戦い、この戦闘が長引いたため幕府を裏切る足利尊氏などが現れ、ついに鎌倉幕府を倒すことになったのです。

千早城の戦い

これにより後醍醐天皇の建武の新政(建武の中興ともいう)が始まり、楠公は新政府のまさに立役者であったのですが、それに奢ることもない人柄でした。

しかし、建武の新政はわずか二年で瓦解し、楠木正成は後醍醐天皇の命を受けて戦い、湊川の戦いで討ち死にします。

湊川の戦い

千早赤阪村は、山の尾根と谷で構成された村で、非常に複雑な地形です。

難攻不落と言われたのも、うなずけます。この地形を十二分に利用した知略に富んだ戦いは、後世の語りぐさです。

写真展の開かれている観心寺の庫裡は、展示スペースもありますが、予約するとお料理もいただけるそうで、せめてお茶をいただきたいと思っていましたが、展示を見ているうちに3時を過ぎてしまって閉店してしまい、断念しました。また機会があったら是非訪れたいと思います。

観心寺の本堂は国宝です。

楠木正成公の首塚と、本堂の右手奥の石段を登った先に、後村上天皇の御陵があります。

緑に包まれた素晴らしい場所です。

写真展の銅像は、近代に造られ、皇居外苑にあるまさに「都会の」楠公さんなのですが、その写真が観心寺で展示されていることで、楠公さんを生み育んだ土地に触れることができ、時空を超えて展開される楠公さんの精神を見るようで、とても不思議な体験でした。

そのことも、廣田氏は意図されてのことと思います。

素晴らしい展示会をありがとうございました。

何もご存じなくてご覧になっても楽しめる展示だと思いますが、楠公さんファン、歴史クラスタの方は必見かと思います。まだ会期中ですので、是非河内長野観心寺におでかけください!

嗚呼版太平記 写真展

■開催期間 平成30年5月20日(日)~27日(日)

■開催場所 観心寺(楠木家菩提寺)
     大阪府河内長野市寺元475

■お問い合わせ 廣田勇介写真事務所 
電話 03-6206-4573 mail: yh@yuske.net

クラウドファウンディング 「700年の時を経て蘇る。幕末の志士が愛す楠木正成の写真展開催」

東風佳代子


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