女城主 井伊直虎 (いい なおとら) LADY SAMURAI 1

 

この冊子は平成28年レディ・サムライ直虎研究会によって制作され、
浜松の地元にて販売されています。

 

全部で6冊刊行され、第1巻のこの冊子では、直虎の生涯が描かれています。

 

大河ドラマが決定した平成27年、地元では井伊直虎の名前も知らない方が大半でした。

 

この冊子をお読みいただいた方が、少しでも井伊家や直虎への理解が深め、同時にご自身の地元や歴史への愛着をお持ちいただけるよう願いつつ、制作いたしました。

 

ネット環境でもお楽しみいただければ幸いです。

 

なお、絵や文の複写など二次的なご使用はどうかご容赦ください。

 

レディ・サムライ直虎研究会

 

漫画 女城主 井伊直虎の本編はコチラからです。

 

女城主 井伊直虎 (いい なおとら) LADY SAMURAI 2

 

井伊谷(いいのや)から車で10分ほど北に向かうと、伊平(いだいら)という集落があります。
直虎の時代に信州から武田軍が攻めてきたルート上に位置しています。

 

伊平には、この戦いにまつわる遺跡が多く残っています。

 

特に伊平城跡は、土塁など当時の山城の形がしっかり残っており、山城ファンにはたまらない魅力があるようです。

 

この冊子は、井伊直虎にゆかりの土地の皆さんと一緒に作りました。

 

まずは、伊平という土地の物語です。

 

伊平(いだいら)の土地の物語の本編はコチラからです。

 

女城主 井伊直虎 (いい なおとら) LADY SAMURAI 3

 

 

井伊直虎の曽祖父 井伊直平(なおひら)は、井伊家の当主であり、井伊谷の北東に位置する三岳山の真裏にある川名(かわな)という土地と縁が深い武将でした。

 

直平の人生は波乱と悲しみの連続でした。

 

直平の息子は戦死、孫である直虎の父も戦死、ひ孫の直親も掛川で謀殺され、とうとう70を越えて井伊家の当主とならざるを得なかった直平自身も、戦国の時代の中で悲憤の死を遂げることになります。

 

夭折する当主の多かった井伊家にあって、これほど長い間井伊家を支えた当主は珍しかったかもしれません。

 

川名で慕われていた直平の墓は、立派な大名墓となって、今も静かに領地を見つめています。

 

また、川名は「ひよんどり」でも有名な土地です。大河ドラマでは、死に臨む小野但馬守政次が、「ひよんどり」を語るシーンがあり、とても印象的です。
ひよんどりは、毎年1月4日に行われる祭りです。是非見学においでください。

 

直虎ゆかりの地 歴史秘話 川名物語の本編はコチラからです。

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